【コラム】動物園は必要なのか という議論についての議論

お久しぶりです。
行けるかどうかも分からない専門学校の学費を稼ぐために短期の肉体労働的な仕事に就いた結果、毎日瀕死の状態で帰宅している今日この頃、皆さんいかがお過ごしでしょうか。ぼくは無理です。

そうしてくたばっている間にも世の中では様々な動きがあるわけでして、印象深い出来事として1か月ほど前にTwitter上でZooBabyさんの以下のご投稿が大きな反響を呼びました。



自分は正直、この内容が多くの人たちの間で広まったこと自体に驚きました。
この話に共感や感銘を受けるほど動物園や飼育員さんについて真面目に考えている・考えられる人が沢山居ると思わなかったからです。
もちろん反響を呼んだ要因はそれだけではないでしょうが、絶対数として決して少なくはない人がこの内容に向き合えるというのは、動物園という存在が単なるエンターテインメント施設として見られているわけではないということの証左だと思います。これはとても喜ばしいことです。

そして程なくして、このツイートを元に生放送番組が組まれるまでになりました。



まず最初に平に謝っておきたいのですが、自分はこの番組を見ていません。

ちょうどこの番組が公開された頃は心身ともに非常に弱っていたため、そんな時に「自分が好きな場所が必要か不必要か論じられる」なんて勘弁してください死んでしまいますってことで見られませんでした。
これは世の動物園好きな人たちにもお伝えしたいのですが、動物園が好きで動物園に通っている人ならば動物園の存在意義だとか要不要だとかを考えなくてはならないかと言うとそんなことは全くありません。
好きなら好きで良いんです。なんなら動物園に通ってお金を落とすだけであなたは十分すぎるほどにこの議論に有意義な『是』を投げかけています。
ご自身の感性と得られる心の充足感を大切にこれからも好きでいてください。

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さて本題、この「動物園は必要なのか」という議題について考えてみますが、まず言葉の対象が非常に曖昧ですね。
「必要」とは誰(または何)にとっての要不要なのでしょうか。

あなた」にとっての要不要でしょうか。
それならば答えはハッキリ分かれると思います。
人によっては必要でしょうし、人によっては不必要でしょうね。

では「あなた」とその周りの人々、例えば「家族や友人」にとってはどうでしょうか。
先の問いに必要、と答えた人でもこれだと必要と断言できるかは曖昧ですね。

少し広げて、その動物園を有する「地域の人々」にとってはどうでしょうか。
あるいは「都道府県」にとって、一気に広げて「国」にとってはどうでしょうか。
「地球」にとって、「生態系」にとって、「人」にとって「動物」にとってはどうでしょうか。
「動物」と一言で言っても沢山ありますね。「飼育動物」「野生動物」「傷病動物」「保護動物」にとって、などなど。

それぞれでそれぞれの答えがあると思います。
議論の際にはそれら「誰にとって・何にとって」必要なのか不必要なのかを論じているのかをハッキリさせないと不毛な論争を呼ぶだけです。
そして基本的には専門家でも無い限りは断言出来るのなんて「あなた」にとって必要なのかどうなのか、だけです。
それ以上はデータや根拠が不足すればするほど憶測に基づくものであることは、議論をする上で共有しておきたい前提ですね。

ちなみに「動物園」という言葉が指す施設も広すぎるとは思うのですが、そのあたりはZooBabyさんも番組の感想ツイートで述べていらっしゃいました。



そもそもなぜ動物園に対してこのように必要か不要かを論じられるのかと言うと、やはり公共施設である(税金によって賄われている)という点と、意思表明の出来ない「動物」という存在を用いているという点が大きいと思います。
そういった意味では、この議論において「動物園」とは公営の施設を指し、「誰(何)」にとって必要か不必要かは「地域」「社会」「生態系」ひいては「動物」にとってどうなのか、を論じるのが妥当な所のように思います。

こうした議論が活発に行われ、動物園の必要性や妥当性などが認識されていけば動物や飼育員さんに対する待遇の好転にも繋がっていくと思いますので、是非こうした番組はどんどん盛り上がっていって欲しいですね。

2020年11月21日 | snow